うさぎ島2 「地図にない島」

竹原市忠海町から船で約10分。忠海港からすぐそこに見えます。
倉敷(玉島)からは道が込んでなければ約1時間ちょいってとこ。福山西ICで降りて尾道バイパス通って
三原へ。三原から呉線沿いの185号へ入って約15分ぐらいで忠海港に着きます。

#1 帰りのフェリーから撮った大久野島。
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#2 行きの船はちょっと小さいからけっこう揺れました。舟に酔う人はフェリーのほうがいいかも。
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#3 片道は大人210円、子供110円で1時間に1本はでてます。
   ただし島内は一般車両通行禁止なので車は忠海港の無料駐車場(約100台ほど)にとめて行きます。
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#4 帰りのフェリー。
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#5 これも帰りに撮った忠海港。
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#6 大久野島へ着いたら休暇村まで送迎バスがあるのでそれに乗ってとりあえず休暇村へ。
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#7 そこから歩いてとりあえず「毒ガス資料館」へ。
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 1918年、ジュネーブ協定で戦争での使用が禁止されていた化学兵器の研究に日本陸軍が着手し地理的な条件や秘匿の容易さなどからこの島を生産拠点に選び出しました。
1929年(昭和4年)5月には生産施設の着工を開始し主な生産施設には島内北西部の長浦工場地帯と三軒屋工場地帯の2箇所とし発電所、材料・製品倉庫などの関連施設が置かれましたが毒ガス工場の存在は機密性から秘匿され、陸軍が発行した地図においても島一体は空白地域として扱われたそうです。
 化学兵器が非人道的といことで使用禁止されたということですが、それじゃあ原爆の使用は非人道的ではないということでしょうか。
 主に中国大陸で使用されたということも戦後当分の間秘密にされていたとか。しかも、敗戦時に日本軍が中国に捨てて帰った遺棄毒ガスが平和に暮らしている中国の人たちを戦後60年以上経った現在でも死傷させているということも初めて知りました。
 大戦終期には戦局の悪化により化学兵器の生産は縮小され、通常兵器の生産に切り替えられこのとき一部の毒ガスは海洋投棄によって処分された。終戦後、GHQや政府により施設解体や残された化学兵器の処分が海洋投棄、焼却、島内に埋める、といった方法で行われ、除毒措置も施されました。しかし十分な処分は行われておらず、島内の土壌で高濃度の砒素が検出されているそうです。
 毒ガス検知のために飼われていたウサギが野生化し生息していることでウサギ島の別名がついたのです。毒ガス実験にも使われていたとか・・・
 それと便乗して飼えなくなったウサギをおいていく人もいるそうです。どおりでいろんな種類のウサギがいるはずです。それと砒素の影響か障害をもったウサギが多いとか・・・
 ウサギ飼いとしてはかなり複雑な心境です。子供に追いかけまわされているのを見るとかなりストレスになっているのではと心配になります。
 ここを訪れる人全員がちゃんと毒ガスのことやウサギの事を知った上で訪れているとは思えないし、といって自分たちが行っても何もできない・・・ただここのウサギ達が少しでも元気で幸せに暮らしてくれたらって願うだけです。

#8 毒ガスの事を勉強してからビジターセンターへ。
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#9 ここはかなり整備されていています。国定公園ということもあり島内も整備がいきとどいてます。そこがまた毒ガス工場の廃墟施設とアンマッチな感じでちょっと不思議な空間です。
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#10 センター内でウサギ写真展もしてました。
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#11 センター内から外の風景を。対岸は大三島です。
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ここを出てお昼を食べてから展望台へあがることにしました。ということで「その3」へ続く。
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by miyakokonbu103 | 2007-05-06 13:53 | Rabbit  

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