倉敷雛めぐり Part3

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【西爽亭】の紹介です。
江戸時代、柚木家は玉島の大庄屋で、備中松山藩から奉行格の待遇を受けていた。西爽亭は、藩主の板倉公が玉島を巡回する折に宿泊場所にした建物で、江戸中期の庄屋建築の遺構をよく残している。天明年間に(1781~1789)建築されたと伝えられ、備後の菅茶山により西爽亭となずけられた。西爽亭を構成する座敷棟、御成門、茶室および庭園の中で、御成門、式台玄関が建築上特に優れている。
【熊田恰】
慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いおり、幕府方の藩主板倉勝静の親衛隊長として大阪詰めで活躍した。板倉公から帰藩の命を受け、備中玉島港に上陸したものの鎮撫使の征討を受けた松山藩は恰の帰藩を認めなかった。事情を知った恰は、行動を共にしている部下の助命を嘆願し、西爽亭の次の間で自刃した。これにより、玉島は幕末の戦火を免れた。



(以上参考・倉敷市文化財保護課)
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玉島の由来になったといわれている いわゆる"玉" です。
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by miyakokonbu103 | 2008-03-04 00:00 | event  

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